バブルへGOって映画おもしろそうだ。1990年頃といえば僕は25歳くらい、、、。ソフトハウスにいた僕はゲームソフトの広報という仕事していた。
めっちゃ楽しかった。
勤務していたソフトハウスはMacinotsh系のデストリビューターとしては超メジャーでPC用ゲームソフトでも国内トップクラスの組織だった。
ジーンズにT-シャツというふざけた格好の若造に年配のNECやら富士通やらのスーツのお偉いさん達を相手にしていた。部隊全員がそのノリだった。
「だせば利益がでる。2次ロットからは利益率を40%もかせぐ水商売」が
当時のゲーム業界全般の雰囲気だった。
そんな世界の中、メディアの皆様とお相手させていただいて僕も酔っ払っていた。名刺一つでどこでも入っていけた。朝日だとか音羽グループ本体とか一ツ橋グループとか出版という世界が僕の戦場だった。
○○の広報の○○ですと挨拶すると一般紙でもお偉いさんがわりとご挨拶に見えた。おのぼりさんである。( ┰_┰)
でも信頼できたのは同じ業界をささえている業界関係のメディアさんたちであった。そんな編集部にいくと雑談から業界動向など貴重な情報をおしえていただいた。広報という仕事が本当に楽しかった。
勿論当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのPC系超メジャーのA社さんにも大変かわいがってもらっていた。
勿論接待も楽しかった。というか東京へ出張するには夕方から予定が埋まっていった。仕事が遊びだった。(これは今でもそうだが、、、、、)
浅草の神屋BARで異次元にいってしまったのもこの時代だった。
出張自体も多かった。月に平均すると2回近くは上京していた。
某編集部の人たちには住んだほうが早いですねとっも言われていた。
ひどいときは年末進行に合わせて毎週Goin東京というときもあった。
出張もゆとりがあった、時間をつくってホテル勤務の某氏自慢のバイクに同乗して同じく友人のマンションに遊びにいったりもしていた。
パソコンの世界もやはりバブルで販促費なども、ゆるめの締め付けで、必要なら使えた。
個人的な部分で言えば、仕事がおもしろく、怖さもしらない世間知らずの若造がゆえに、イケイケGOGOで、それなりの成果も残せた。
(内緒だが、引き抜きのお話もあった。ps2で有名な某○○○双の会社さんだったけどね、、、。条件もよかった、、、。何故うつらなかったのかは今でも時々自問自答している)
当時お付き合いをさせていただい人たちとSNSで再開する。業界再編で競合誌が同じ組織になっている。時代は常に変化している。
振り返ってみると自腹での贅沢という部分でのバブル体験は少ないにしろ、当時の体験が今の僕を形成していると思うとバブルという時代も悪くなかったのかなぁ、、、と感じている。
若いときの華やかさに満ちた体験というのも苦労と同様に人生には必要な経験かもしれない、、。
ビババルブ、ボディイコンシャスアゲイン!
追伸、内緒だがいまでも光り気味のストッキングは弱点だ(ノ゚ω゚)八(゚ω゚ )ノ
ぼりぼり、、、、、、、、、、、。
ウマー (ノ゚ω゚)八(゚ω゚ )ノ
謎の英国人にM&Mチョコかってきてくれと頼んだら54OZ入りの超特大サイズ。しめて約1.5kgのM&Mチョコレート。
いや英国人にしては見事な芸人魂だっ!
........ってこんなにカラフルで大量なM&Mってなんかアーティスティックな感じだな!
でも最近は22色のセットもあるし、オリジナルメッセージをプリントすることもできるんなんて、M&Mフリークスには贅沢な世の中になってる。
WEBも楽しげである。
公式サイト ⇒ http://us.mms.com/us/index.jsp
追伸、もぅあきたよ、、、。orz お醤油が恋しい深夜である。