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超Luckyかも、、、
僕の人生(人生っていうのも42のオヤジが語るべきじゃないけどね、、、ハナタレですし、、、ww) 割と運がいいと感じる。
運がいいといっても宝くじの連番で当選したとか、くしゃみをしようとして立ち止まったら、その前に巨大な鉄骨がおちてきたのを逃れたとかの運のよさではない。
何かが、足りない分、不足している部分をタイミングよく埋めて補完してくれている。
僕が育った家庭もわりと人様からみると複雑なのだったのかもしれない、女系で気の強い女性が殆んどの家族。それも離婚してたり、仕事一筋だったり。と
当時の社会情勢では割とハンディとなる生き方をしていた女性ばかりである。亡くなった母もバツ2であった。
これは僕の故オヤジの前にすでにバツ1であったわけっだ。死んだ後色々片付けて、親戚と話をしてみて判明した事実である。でも不思議な事に僕は「かーちゃん、あんた女性という性をまっとうして楽しんだアドベンチャーだな」と不思議に爆笑していた。不謹慎だけど、、、。
オヤジも放浪して死んだとき知らせが届いた。30年以上ぶりの再会である。
そのときも不謹慎ながら棺のオヤジをみてると「あんた人生楽しんだなぁ、、」とやはり笑ってしまった。
となると僕は天蓋孤独なのかもしれないなぁ、、でもね気楽でいいよっ。
さびしくないしね、、さびしいとかんじるからさびしい。ただそれだけだよっww。
と書いてみて本題へと話をもどすと、両親がそろっていた家庭が当たり前であるなら、
不思議と僕には父親代わりの大人の男性が回りにおおかった。
運がいいね。(でもね女系なので割りと闘争本能がスポイルされているのはしょうがないな)
両親が既に他界している。よく人から若いのに大変だったねといわれるが、僕はこれっぽっちもそんな事を感じていない。逆に運がいい。体力気力が充実している時に亡くなったのと自分の老いも感じ始めた時に他界されるのでは悲しみからの立ち直りも違うとおもう。
人生のタイミングの良さが幸運だな・
生きてるからこそ色々な事もおきるし喜怒哀楽も楽しめる。人生に意味など無いと僕は常におもっている。
「生きるというチャンスは最大限活用した方がいいかも!」と信じているし、そのチャンスを活用するために生活をしている。
そして、絶対に今日より明日の方がいい日に決まってると信じている。そうは言っても明日がひょっとしたら今日より悪い日かもしれないけどまぁいいや、、、。と気楽に考えている。明後日もあるしね、、、、。と気楽に構えてる。
そんなお調子者に神様はどーしてくれるかというと、、、
実はね、割と助けてくれる。頼んでもないのに、、、感謝しようっと!!。神様は僕を割りと受け入れてくれるみたいである。
上をみればきりがない。置かれた現場を楽しみつくすことにより次のステップへと招待状が届く。勿論収入もねっ!
僕は自己啓発ってのが大嫌いである。詐欺である。あんなのは。書いた人の価値観での判断である。つまり誰でも書けるわけである。
そして霊とかオーラがなんとかかんとか言ってる奴らにもだまされるなっ。どんな霊がいてもあなただからこそ悪いことが起きるだけである。それはその人がアナタを見て感じた印象を言ってるだけである。
自分の良さは自分だけが理解してればいいのである。
だけど僕はあまりにそんな自分がずれてる気がして、低級霊??(なんが低級なのがわからいないけど、、、)があつまる風俗街であるとか、ヤバゲな地域に潜入してみたけど、悪いことなど起きない。逆に親切にされることが多々ある。やはり幸運である。
よくあなたの後ろのなんとかが見えるっていってる人がいるけど気にしなくていいと思う。見えるわけが無いのだから。逆にそんな台詞を言ってる人がいたら、「この世界の全てさえ見てないのに贅沢な人だなぁ、、まるで初物のよさしか知らないなんちゃってワイン通みたいフフフ」と感じてあげよう。
逆に高齢の人が話す言葉は経験則からくる重みがある。だから説得力がある。
特定の分野で秀でた人が話す言葉も同じである。
だけどね、デブとオカマが安っぽく人の人生なんて方って欲しくないね俺は、、。
そして皆に気づいて欲しいね「人生って甘いし気楽だし楽しい事に満ち溢れてるし幸運にみちてる。」
やるべき事は「アナタの人生を楽しく過ごしていきたいのかどうかを決めるのは、あなたの人生において最重要かつ最大の義務である。」って事を実行すれば、幸運に囲まれてる人生になるってことだと思うのだっ。
こんな僕の評価は人からみるとどす黒いって言われてるんだろうね、、、でもね割といい人間だと思うよ自分では、、、(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノ
男子グッチにはいるべからず、、、、
男子には理解不能である。奥さんがバックが欲しい、、、と言うので、詳しく話をきいてみる。
今年の流行は、、、で、でも皮製だとなんとなく、いかにもという感じで、、、そしてトートバックがかわいいとか、、、で、、○○にお取り置きしてもらったよっ♪
すっごくかわいくて、、、、。
で、日曜日に福岡の百貨店 岩田屋へ、、、。
つかつかと一直線に嫁の視線の延長線上には「GUCCI」 !
僕は正直、田舎者属性で、この手の高級店では、挙動があやしげになる。
いや、なれてないだけだ、、、。この間、ダンヒルのお店で財布買おうとして、店員さんとの間のやりとりで声が裏返ってしまうほど緊張してしまう。
でも、嫁よ何故にトートバックでそんな値段になってしまうのだ、、、。( `д´)ノ
同じ金額ののグラフィックボードを買えばどんだけWARROCKでも環境差で負けない戦士になれるのか、、、orz
でも、うれしそうにしている奥さんの顔をみていると、こちらも色々な理由で涙目になりつつではあるが、毎日がんばった自分をほめてあげたい気になってきた。
でも、彼女や奥さんがいる男性からすると、多分いや絶対に憲法でハンドバックと靴は価格の上限を3万円に規定してほしいと切に願うばかりである。
いや、その為の実現ならNPOや反社会勢力とだって応援したい。
ついでにこの際、面とむかっていえないから、はっきり言ってやる。
「嫁よいままでありがとう、これからももっと贅沢できるように頑張るよ俺。」
無論、負け惜しみである。( ┰_┰) シクシウ
高級ブランドは男子にとって宗教以上に根深い問題であると感じた日曜日である。
( ┰_┰) シクシウ
GUCCIのURL http://www.gucci.com/jp/index2.html です。orz
習慣の力 ヤクルト編 (ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノ
ヤ・ク・ル・ト 素敵っ(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノ
ウマー ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
寝る前に飲んでいるけど、即効で寝てしまうのは何故??
寝酒もたまーに、のんでみたりするけど
寝つきは変わらないのにヤクルトは、、、、、、
即落ち。激落ち
何故だっ???
俺だけなのか???
きっと一日の終わりにヤクルトというのが癒しの習慣になってるのかもしれない。
そう、毎日ヤクルトを飲める自分は成功者だと思う!
何よりウマイ!!!
でもヤクルトって色々あるのね、、。おっちゃんは知らんかったよ、、orz
乳酸菌がいまマイブームなのよ、、、。
ヤクルトの製品のページは ⇒http://www.yakult.co.jp/front/products/ です。
通話規制に物思う、、、
能登半島のみなさん大変だと思います。同じ経験をもつ市民としては、心よりお見舞い申し上げます。
でも毎回思うのは、通信各社の被災地への通話規制って違うなと感じる。
災害がおきているからこそ、その場所への連絡を取りたいと思うのは、
人間的だと思うのはぼくだけなんだろうか?
勿論、施設の充実さやタフさってのは市場の大きさによって違うとは思うのだが、被災地域へ優先的に繋げるというシステム構築は難しいんだろうか?
僕は、逆に被災地域に知り合いなどがいなくて、地理的に離れている立場であれば、その時点での僕の通話規制をしてもらって浮いたリソースを被災地へ振り分けてもらっても全然問題ない。
むしろ個人的な価値観でいえば、そちらのほうが少しでも被災地域の人達の助けになってる気がして多少救われる。
今は被災地域につながりにくいという規制という名の通信各社の怠慢と資産防衛を看過しているきがしてならない。
災害と携帯端末の有用性とよく言われるが前提がちがうのではないかと感じる。
加護ちゃんの騒動、、、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070326-00000170-jij-soci
多少気の毒な気がする。勿論喫煙はいけないけど、20歳前の喫煙って大半の人が経験しているのではないだろうか、、、。
僕は自分がタバコが似合わないと思って20歳と2週間目位にすい始めた、、、。
今回の引退は周りの環境が大きいのかもしれない。むしろ普通の人だった女の子が芸能人になるのだから足元すくおうとする連中も多いことを事務所と両親はきちんとしつけとくべきだったかもしれない。。勿論本人の隙と慢心もあったのかもしれない。
未成年でもタバコも酒もHな本もたやすく買えるという現実こそが問題だと思う。となると来年から始まる年齢認証制度ってのは以外にも有効かもしれないね、、、、。
衰え、、、、、。・゚・(ノД`)・゚・。
昨晩、会社のボスが中州のGATESにあるフィットネスクラブのビジター招待券をくれたので行って見た。
最近、特に泳ぎたくて水着をレンタルしてプールへGO。
ふふふ水泳は得意!でも本格的にプールでおよぐのは10年以上ぶり。
いきなり泳いでも体に悪そうなので、とりあえずウォーキングする。
そしていよいよスイミング。
。・゚・(ノД`)・゚・。 おとろえーーーーーーーーーー。
老齢化ーーーーーーー。体力低下ーーーーーーーーーーー。
25mが遥か彼方に感じた。真ん中あたりで、今救難ヘリの音が聞こえたら、きっと涙がでそうだな、、と朦朧とした意識で考えていた。
でも、やっぱり泳ぐのは楽しい!めっちゃ楽しい。
休み休みとは言え、累計500m(ノロノロ平泳ぎ) と水中ウォーキング500mで終了。
ちょいわるおやじへの道のりは遠くきびしい。まだまだである。
体を鍛えねばっ( `д´)ノ
GATES にあるフィットネスのエクスプレスは http://www.express-hakata.jp/index.html です。
最近 NGNらしいよ、、、皆さん
Next Generation Network
なんかBlog、SNS、セカンドライフ、、、ときて インフラ面ではNGNらしい。
光を基本軸とした高速で安定したネットワーク、、、、って
単独で考えると、ふぅーんISDNからADSLときて光へと変遷したときに毎回でてくるキーワードが
またもや!って気分である。
しかしながら、よくよく考えてみると、色々な技術と概念の部分をマッシュアップして考えてみると
凄いことなのかもしれない。
例えばIPV6で個人はもとより、家電全部にIPアドレスが割り当てられ、さらないユビキタス社会の先駆者としての
携帯端末までを視野に入れると凄い社会が実現するのかなと感じる。
これは、もはや技術的なアプローチもさることながら、哲学的な検討が必要なのかもしれない。つまり僕達は、管理社会への入り口を開けつつある状態であるとも考えられる。
また現在のインターネット通信をみるかぎり、Skypeのようにプロトコルを利用した共通通信によって世界中の人と通話することも可能である。
つまり、IPアドレスというものが、個人を特定する番号へと変化を遂げ、我々の行動全てにナンバーがつきまとう社会が現実になりつつあるという状態である。
勿論、子供や老人を犯罪などから守るという側面は重要であると感じているし、便利な社会には賛成である。
と書いておきながら心情的には、、僕は議論すべき重要なポイントが抜け落ちていると感じる。
それは、「人間として情報との関わり方と行動の仕方」という議論がなされていない。屁理屈かもしれないが、コトラーやドラッガーの言葉が宗教的な響きさえ見せ始めている今の社会において、彼らの言葉は 前述したワンセンテンスでしかないと感じている。
つまり全ての局面において、我々自身が溢れる情報との戦いにいて各種のデジタルデヴァイスとインフラを、どのように戦略的に利用するかという議論がなされていない。
実は今、
「ネットvsリアルの衝突 -誰がWeb2.0を制するか- 佐々木俊尚著 文藝春秋 ISBN4-16-660546-1 」
という本を読んでいるのだが、
ちょっと怖くなってきた。色々な技術の主導権をめぐって、国家間の紛争あるいは、政府と民間という激しい戦いがすでに現実の問題としておき始めている。
つまり「インターネットは誰のものか?」という部分においての争奪戦が始まっている。
となると議論すべき重要なポイントして「国家としてインターネットとどのようにかかわるのか?」という議論も必要であると感じている。
日本はε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…で気分がめいってしまうが、「外交能力」というDNAスイッチを神様が入れ忘れているので甘受しなくてはいけないのかもしれない。
個人的には、技術もさることながら、NGNの上物としてのWEB2.0の焦点は、実はユーザー特性をフィルタリング機能として、「自動コミュニケーション機能をもったデータベースの実現」ということではないかなと最近考えている。
つまり勝手にインターネットを徘徊して人様の特性や属性を許可なくキャッシュし続けるのがDB1.0とするなら。
DB2.0(勝手に命名してます)ではコミュニケーション能力とフィルタリング能力さえ機能として付加すればいいだけである。
つまりこれは、コトラーが述べているジャパンスタイルマーケティング(顧客対応型マーケティング)の主軸を生産者から消費者へと変え、手段と活動をデジタル面に置き換えただけしかすぎない。
つまり結局のところ、「人間として情報との関わり方と行動の仕方」 というリテラシーを社会だけでなく個人までも求められる時代になったのかもしれません。
となると現実問題としてのデジタルディヴァイドに苦しんでいる国民をいかにキャッチアップしていくかという議論も必要になってくる。
格差を格差として切り捨てるのか?という議論が、まず着手すべき議題であることには間違いないように感じている。
僕の住んでいる街は福岡である。そぅラーメンと明太子の街である。
支店経済でなりたっている福岡市というところは、全国でも珍しく標準語がベースの街である。
人柄は男性は大雑把で涙もろく情にあつい。仲間意識が強くて、やや排他的である。(特にビジネス面ですけど)
女性は、気が強く姉さん気質の女性が多い気がしている。博多の男性はえらそうにつよがるけど、それを理解して受け止め手のひらで遊ばせてくれる包容力が魅力的だ。
男性も女性も人懐っこく、本質やさしい人々である。
日本全国において土地柄ってあるのかもしれないけど、全般的にみて人の性善説を、いまだに捨て切れていない日本って素敵な国かもしれないと感じる。
以前の職場で営業地域として九州各県を担当したけど、沖縄の人々も素敵な人が多かった。皆さん誠実で本音でやり取りできた。街の雰囲気も不思議で人生というものを考えさせられる街であった。長崎も素敵だった。
鹿児島も力強さを感じた。佐賀も平野の雄大さを感じた。宮崎もノンビリムードでよかった。大分も不思議な街だった。
福岡という場所はアジアとの距離も近く。国からの補助など九州経済の7割が福岡県におちてきている。 福岡県民としては九州全体での共生というものへ意識を少し傾ける義務があるのかもしれないと感じている。
なんとも言えない気がする。基本的には賛成である。生きるべくして生まれてきた子供の側からの視点で考えることが肝要かもしれない。
新生児をモノとして位置づけているようで問題ありと騒いでいる大人がいるが、個人的にはアホだと思う。
これは、「命」という価値観を皆に問いかけている問題なのかもしれない。
生まれてくる新生児には、生まれてくる理由があるようで、実は無いと僕は思っている。
下世話に言い方になると単純な生殖行為の結果、新たな生命が生まれただけである。生まれたての赤ちゃんに人生の意味などあるはずがない。意味があるとしたら親と呼ばれる立場にいる人々の価値観で、その子の価値が変わるだけである。「生まれてきてくれてありがとう」的な赤ちゃんもいれば、「生まれてしまったどうしよう」的な位置づけの赤ちゃんもいるわけである。その新生児の価値というのは残念な事に生まれた環境において左右される。
ただ、僕が言いたいのは、どんな人間でも生きる権利は持っているということである。生きる権利というのは、また人によって考え方が違うとおもうけれど、僕は自分で判断して生き抜く方法と決断を自分で決めれることだと考えている。
つまりこの赤ちゃんポストに不本意ながらわが子を入れなくてはいけない母親の心情を多少考えると「ごめんね、それでも生きて!」という強い母性を感じて涙腺が緩んでしまう。このポストを利用する母親たちは一生かけてもはずせない重い十字架を背負ってしまう事になる。それでも子供に生きて欲しいと想いからわが子を手放す。つらく厳しい選択であるとも感じる。
非難することは、実は簡単で一番卑怯な方法である。
判断・行動することが出来ない新生児の「生きるチャンスを守る」という最も尊ぶべき尊厳を守る制度は、個人の価値観で左右されるものではなく、
我々が所属する社会における「大人の責任」というものを明確にすることからスタートするのかもしれない。
「未来」という名をもつ子供から社会と時間を預託されている大人としては
選挙にまじめに投票に行くということからはじめた方がいいのかもしれない。
子供達に素敵な社会を残せるようにがんばろー (ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノ